免責事項: このメモはゲストから学んだ事を深く理解するためであり、私自身主観的な解釈が意識的、または無意識的に文字に反映されています。そのため、このメモよりゲストのお言葉の引用をお控えください。実際に何をどういう状況、口調、形で会話された内容に関しましては、ポットキャストYouTubeにて全てご覧頂けます。

学生時代

ニッキーは中国福建省出身で、小さい頃から頭がよく、高校から情報オリンピック(Olympiad in Informatics)というプログラミング能力を競う大会で良い成績を残すほどの逸材。彼曰く、当時は若すぎて、未来やトレンドに注目していなかったので、大学はプログラミングを選ばなかった。また、当時プログラミングは中国大学で今ほどの重視されていなかったのと、自分のプログラミング能力に対する自負から、先生から学ぶことはあんまりないだろうということで、法律を選んだ。

「何故法律?」と聞くと、テレビ番組からの影響で、ペンは剣よりも強しを証明している弁護士が格好良かったという。ここで彼が学んだのは、プログラミングと同じく、ロジックと事実に基づいて行動するというものだった。感情的になって、プラスに成ることはないと認識。その後のベンチャー人生にも凄く役がたったという。

初研修

ニッキ−が大学三年生になった年は2005年で、丁度中国のGoogleとされているBaiduがNASDAQで上場した年でもある。インターネットが人の生活と経済にこれほどのインパクトがあることを知り、業界に関するリサーチをしつつも、自分のベンチャーのアイデアを構築していた。そのために、実際この業界第一線での経験がないと、机上の空論に過ぎないと思っていた。

ある夜、彼がいつものように色んなコミュニティーで交流やリサーチをしている際、北京にあるベンチャーのCEOが声をかけてきた。ニッキーがWeb 2.0に関する知識やトレンドをCEOに伝えると、そのCEOが「うちも研修生を応募しているから、来るか?」と誘った。ニッキーが北京についたのはその翌日だった(当時彼は武漢の大学に通っていた。距離にして約1000キロ)。

この会社での経験は貴重だった。2005年に、彼はWeb 2.0を現場で実際に関与したのみでなく、中国でまだ導入されていない電子チケットシステムの開発にも携わった。この会社のサービスは、後の2008年北京オリンピックにも採用された。最終的にアリババに買収される事になったこのベンチャー「大麦網」は、今でも多くの中国人が知っている、利用しているサービスである。

そんな研修をニッキーは三ヶ月で終わらせた。自分のベンチャーを立ち上げたからだ。

初ベンチャー

今でこそ中国は沢山のベンチャーとVCがいるが、2005年の中国、ベンチャーという存在は稀少だった。VCという言葉を知っている人はほとんどいなかった。ただ、Baiduの成功が色んなビジネスオーナーや資金を持った人間を焦らせた。「理解できないネットビジネス」でも「時代に取り残されたくない」ということで、何らかの形で参入したいという雰囲気があった。

そんな中、ニッキーの先輩の友人も北京にいるということで、後輩の面倒を見る形で何度か会ううちに、その友人さんがニッキーのビジネスモデルに半信半疑でありながら、彼の事は信頼出来るということで、200万元を出資してくれた(当時の為替で計算すると約2500万円だが、当時中国のGDPと物価考えれば、一億円を超える調達となる)。

彼のベンチャーは今中国のRED(ユニコーン)というソーシャルコマースに瓜二つだった。化粧品に集中した内容で女性ユーザーのコミュニティーを作り、eコマースからのインセンティブによるビジネスモデルだった。

2005年当時中国の若い女性あんまり化粧をしていなかった理由は、化粧をすると「ケバい」と言われるのがオチだったという。とはいえ、美しくなりたいという本能はいつの時代にもあり、部屋で化粧して、鏡を見つめて満足した後に、化粧を落として出かけるという人も珍しくなかった。

当時のeコマースはまだ未熟で、TAOBAOはほぼ無名で、JDはパソコン・パーツにフォーカスしていたため、後にアマゾンに買収された卓越网や8848が大手eコマースだったというが、ネット上での購入を躊躇う人がほとんどの中、ニッキーのベンチャーも順調とは程遠かった。

コミュニティーは盛り上がっていたが、収入に繋がらないというのが日常だった。理由は、ユーザーがオンラインで情報を仕入れ、オフラインで購入するという、今と間逆な消費行為だったため、ソーシャルが成り立っても、コマースの姿が見えなかった。DAUやMAUが高いからといって、投資先が見つからないほど、当時のベンチャーエコシステムは存在していなかった。

とはいえ、いかにサービスを改善出来るかとノンストップで考えているニッキーは、自社の化粧品価格更新は一周間に一度しか出来ないのに対して、毎日更新出来るサイトがあった。それが去哪儿.comという航空チケット価格比較サイトで、後に彼の新しいベンチャーとなる企業だった。

去哪儿.com

「去哪儿」は「どこへ行く」という意味で、航空チケット比較と購入誘導から始めたベンチャー。会社を畳もうと考えていたニッキーは、当時の去哪儿のCEOと面談した。その企業のビジョンとCEOの魅力に惹かれ、このベンチャーに参入したいと考えた。CEOから「数ヶ月で辞めてもらっては困る。どのくらいいられるのだ?」という質問に対し「最低二年」という返事で採用された(このCEOはニッキーを見透かしていたw)。

彼が担当するのは、当時担当者がいないホテルブッキングの新しい事業だった。以前担当者がいたようだが、立ち上げられず、失敗に終わったという。入社後、ニッキーもその困難さを身に染みることになった。このホテルブッキングのチャレンジは、社内にあった。

ワンマン部署ということで、エンジニアもいなければ、デザイナもいない。全てのリソースは航空チケットチームが握っている。彼らにお願いしたり、頭下げながら、借りなければならない。社内でも「現金」な去哪儿は、「投資収益率」を考えなければならない。既にユーザー数と収入が激増している航空チケットサービス vs ユーザー皆無 収入もゼロのホテルブッキング、どう計算しても、後者からROIは望めない。彼らを説得するために、ニッキーは四苦八苦の毎日だった。

転機とナスダック

ニッキーはまず前任が何故失敗したかと検討した。当時中国ベンチャーの多くは「Copy To China」だったので、ブッキングドットコムやエクスペディアを「参考」していた。当時のメジャーユーザーインターフェースとしては、三列式だったが、中国ユーザーには合わないとニッキーは考えた。それを二列式に変えた後に、使用体験が大幅に改善され、ユーザーの増加と定着率も上がっていった。

ユーザーのクレームなどにも対応し、実際の問題をエージェントと討論しつつ、ユーザーインターフェースではないところの改善にも注目した。そういった細かい、一つ一つの問題を解決していくうちに、2009年の9月末にニッキーが一生忘れない瞬間が訪れた。

入社後一年となる時期に、ホテルブッキングのDAUが1万人に達した。それは去哪儿社内で「プロダクトマーケットフィット」を確定する指標であり、独立したチームを持つ価値があるという証明でもあった。その後も「紅包」の遊び方を初めて導入したり、「運営」を重視するオペレーション、色んなイノベーションを競合が必ず「参考」するというほど、業界の地位を築き上げていった。

去哪儿は2013年にナスダック上場を果たした。当時29歳であったニッキーは、2つ目のベンチャーで資産を一気に増やした。彼が2008年で始めたワンマン部署も、彼が離れる2015年には8000人に成長していた。

意義があるベンチャー

ベンチャーからナスダックへの道程は険しくも充実していたが、ベンチャーが金儲けのためではなく、この社会や人達に実質に貢献出来ないのかと模索していた。教育と医療に着目したが、中国教育のベテラン達に聞いても、自分でリサーチしても、中国のオンライン教育を根本的に改善出来るような方法が思いつかず、医療に絞った。

ただ、医療はインターネットベンチャーとは全く違う業界である。遠隔診断を試みるベンチャーもいるが、根本的な問題解決に貢献度ゼロという状態。何故なら、医者がちゃんとした診断をするために、心電図や血液数値といった実質なものが必要であった。患者の主観的な「自己表明」以外の客観的データがなければ、結局は「念の為に病院にて検査を」という診断しか下せない。

医療ベンチャーに未来が見えない中、彼はWeChatのタイムラインに「医療関係で良いベンチャーがあったら教えてくれ、投資するかも」と投稿した。それに食い付いたのは萌动というハードウェア・ベンチャーのCEOだった。

製品は胎児の心拍を感知取れるモビリティ装置で、胎児の異常を事前に感知し、臍帯巻絡による胎児の死亡などを防ぐものだった。ただ、当時CEOはハードウェアのみに注目していて、ハードウェア販売ビジネスを考えていた。萌动を見たニッキーは、「これはいける!」と投資するのみでなく、共同創業者として参入して欲しいと口説いた。

まあ、CEOとそのチームはイエスとは言わなかった。そもそもCEOはプロジェクトマネジメントを担当しているから、もうひとりは必要ないと考えた。ただ、ニッキーは全く違うビジネスモデルをそのチームに「逆ピッチ」していた。

前述通り、遠隔診断の壁は「自己表明」以外の客観的データがないという所だが、萌动の製品はそれを補う形となる。更に、彼が去哪儿における経験、プロジェクトマネジャーとしての能力が、彼の医療ベンチャーに対するビジョンを具現化出来ると、CEOは納得し、ニッキーを共同創業者として迎えた。

萌动(Modoo)

この新しいベンチャーは去哪儿と違って、ごく一部の人種しか使わない。妊婦というユーザーはパーフェクトとする理由は、若い年齢層(老人と比較した際)、胎児のために何でもする、慢性病患者よりもよほど行動力があるという。

1年半かけて、ようやく一代目の製品が17年に完成した。お腹に五百円玉より一回り大きいデバイスをつけることで、胎児の鼓動などの音を感知し、アルゴリズムでその状態を数値やグラフで伝えるというものだった。クラウドファンディングを通じて、300人ほどの妊婦ユーザーを集めた。そんな期待の中、ユーザーからのクレーム嵐を浴びさせられた萌动だった。

開発環境は現実環境と違い、妊婦は色んな所を歩き回る。すると環境音や雑音が胎児の音を聞き取るための障害となったり、アルゴリズムによる分析にも支障を出していた。61%という正確率では全く使い物にならない。ただでさえ不安な妊婦がこんな数値で納得することもなく、クレームと罵声の中で萌动チームは検討していた。

最初に出来ることは、全額無条件返金。その上、デバイスはそのまま使ってもらう。ニッキー曰く、ハードウェアとして、シリコンのパッドを噛むせば、ノイズを大幅に減少出来る。もっと大事な仕事はアルゴリズムの方だったので、ユーザーデータがあったほうが、マシンラーニングによる改善のスピードが上がる。創業チームメンバーは仕事を終えた後、毎日妊婦ユーザー達のクレームを聞いたり、謝ったりしていた。そのうち、徐々に信頼が上がっていき、色んな相談までしてきていたという。

一年が過ぎ、正確率も85%前後に上がり、製品としては問題ないということで、妊婦ユーザー達にもちゃんと納得してもらえるようになった。無料で使えて、親切に話を聞いてくれるし、問題解決も真面目に取り組む萌动に、ユーザーからの感謝が耐えないという。6人ほどのユーザーが子供のお宮参りを萌动のオフィスで行ったり、チームにお土産などを送るユーザーも多々あるという。最初にクレーム嵐の浴びせた300人の妊婦達も、無事に子供を産み、その後萌动製品の「信者」になり、使用経験などをSNSでシェアしたり、周りにも薦めているのだという。

そういえば、世界的に有名なアクセラレータであるY Combinatorに萌动は18年に選ばれた。ただ、ニッキー曰く、ベンチャー業界の知名度は上がったものの、実際のビジネスにはあんまり役に立っていないとのこと。CEOとCTOはシリコンバレーで数ヶ月滞在したが、彼は妊婦ユーザーを見る人がいなきゃだめということで、北京に残って仕事していた。

萌动は既に18年からブレークイーブンしており、CEとCFDA(中国のFDA)を取得していて、正確率も95%までに上げた。今年は各病院との商談が続いており、来年春にはスマート・クリニックという新しい形で、萌动のサービスが正式に病院にも採用されるということで、今後の発展がとても楽しみである。

萌动のサービスについて

妊婦がウェアラブルデバイスを付け、胎児の動きや心拍数データをスマホアプリで表示され、ネットを通じて萌动のサーバーへ。アルゴリズムを通じて、胎児の状態に異常がないかを確認出来る。マシンラーニングでなく、お医者さんに見て欲しい場合は、スマホ上で即座に遠隔診断してもらえるというもの。

3つのキーワード

「人生を振り返って、失敗と成功を経験してきた今、もしご自分を言い表す3つのキーワードがあるとすれば、それらは何でしょうか?」という質問に対して、彼の答えは:

坚持:物事を最後までやり通す

享受:良い時もチャレンジも楽しむ

折腾:常に厳しい環境に身を置く

尊敬する人:庄辰超(Qunarの創業者)、王兴(Meituanの創業者)、黄峥(Pinduoduoの創業者)、Elon Musk、Steve Jobs

Modoo:https://meng-dong.com/(中国ウェブサイトなので、非中国地方からのアクセスし辛いかもしれません)

About Dan Zen Learning
断然ラーニングはシリアル・アントレプレナー、IT業界の営業とマーケティングを熟知し、12年日本、10年台湾、6年北京での仕事経験を持つトライリンガル、毎日何らかを学んでいるダンより提供。
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