免責事項: このメモはゲストから学んだ事を深く理解するためであり、私自身主観的な解釈が意識的、または無意識的に文字に反映されています。そのため、このメモよりゲストのお言葉の引用をお控えください。実際に何をどういう状況、口調、形で会話された内容に関しましては、ポットキャストYouTubeにて全てご覧頂けます。

学生時代

南京生まれのデイジーは高校の頃から成績が良かった。国際クラスに選ばれ、授業は外国人先生だった。欧米スタイルの教育がデイジーにとって新鮮だったと同時に、「ナチュラル」とも感じた。彼女が後世界各国の若者、学者、創業者などを接することになったのも、高校時代の経験が密やかに導いていたのかもしれない。

卒業後、北京大学、清華大学、またはアメリカへ留学する同級生と違い、芸術が好きなデイジーは北京にある中央美術学園(大学)を選び、ランドスケープ・アーキテクチャーを専攻した。

当時の教授であるファン・リン(范凌)はプリンストン大学の建築学の修士、後にハーバード大学デザインの博士となり、カリフォルニア大学バークレー校の教師、世界経済フォーラムに世界100名のヤング・グローバル・リーダーズの一人として選ばれた。

そんなファン教授は学生に厳しかったという。デイジー曰く、彼女周りの芸術気取りの学生は大抵だらけていたので、ファン教授のスタイルは逆によかったと述べる。クラス毎に出された宿題はガンガン叩かれ、頑張っても教授には酷評で、自信を打ちのめされるという。とはいえ、ファン教授は学生に「世界は広い」という事を身を以て学生に見せていた。

彼は自分のコネクションを最大に活かし、国際的に有名な建築関係者を中国に招いては、学生のためにセミナーを開いていた。この組織はテクステント(TEXTENT)と呼ばれ、デイジーはオーガナイザーとして働き、在学中に40回ほどのイベントを組織した。

何人かのスピーカーを参考に:

ピーター・ウォーカー(Peter Walker)はアメリカ合衆国のランドスケープデザイナー、アーバンデザイナー、環境デザイナー。ハーバード大学のランドスケープ学科長をつとめ、幾多のデザイン事務所の所長を経験, 1972年にはヒデオ・ササキと共同でSasaki Walker Associatesを設立した。

クリストファー・リー(Christopher Lee)はセリエ(Serie)アーキテクツ共同設立者であり、セリエのデザインをリードしています。彼の研究、執筆、教育は、建物の種類に埋め込まれた知性と文化的価値に関するもので、ハーバードのデサイン大学院の教授でもある。

ナタリー・フランコウスキー(Nathalie Frankowski)はバージニア工科大学の建築+デザインの学校の助教授であり、「WAI建築シンクタンク」、アーティスト集団ガルシア・フランコウスキー、北京のオルタナティブアートスペース「Intelligentsia Gallery智先画廊」の共同創設者/キュレーターでもある。

テクステントでの経験によって、デイジーにイベント関連の企画、宣伝、計画実行と予想外の問題を解決出来るスキルを身につけた。2012年に方振寧先生が12年間計画した展覧会も、アシスタントとして加入した間もないデイジーがヴェニス、スペイン、ポルトガルとスロベキアに行けたという好運。彼女の運気の良さは、その後も続いた。

911とベンチャー

デイジーが卒業とする2013年は、中国ベンチャーブームの幕開けの年でもあった。大学時代の先生であったファン教授は当時ハーバードの博士取得中、カリフォルニア・バークレー校にて教師として働いていた際に、シェアリングエコノミー関連のベンチャーを立ち上げようとして、ハーバードのクラスメートや中央美術学園の先生や生徒などを「口説いていた」。

ハーバードの博士学生や中央美術学園の先生達は乗らなかったが、生徒であるデイジーはすっかりその気になって、ベンチャーのアイデアなどを考えていた。ある日の夜中に、彼女と後輩が911に関するドキュメンタリー(陰謀)を見ながら、この世界のために何かをやらねばと考えた。特に今後卒業して仕事もままならない美術の学生のために、デザインに関するコミュニティーを作り、シェアリングエコノミーのモデルを参考したベンチャーを立ち上げようとファン先生に提案した。

ベンチャーの名前はTech+Designということで、Tezignと名付けた。名付けの親は、高校時代国際クラスの同級生で、優秀な方で、今はプログラミング+半導体チップの設計関連の仕事をしているという。

Tezign/テザイン初期

サービス内容はベンチャー企業のロゴやUIデザインをこなせるデザイナーをマッチングし、一部の手数料を取るというモデルだった。13年から始めたテザインはデイジーが共同創業者として、彼女の先輩後輩などの加入を誘った。チームは信頼出来る仲間で固まったが、順風満帆とは程遠いスタートを切った。

当時中国はベンチャーブーム元年だったので、確かにベンチャーは多かったが、ロゴ一つに7000円も出したくないベンチャーも多々いる。その上、このような「仲介」ビジネスの痛みはやはり買手と売手の間の紛争。

買手がロゴをもらったが、品質に満足やほかの理由で金を払わない、売手(デザイナー)も学生や仕事経験が少ないアマチュアのため、買手と売手からのクレームが止まない。特にビジネス経験皆無のデイジーと彼女のチームは、これらの問題を処理しながら、サービスの規則、社内のSOPなどを模索しつつ進めていくほかなかった。

一年ほどの時間で、40件以上の依頼をこなしてきたテザイン、14年末にいくつかのベンチャーキャピタルから声を掛けられた。ある投資家が「君達卒業して間もないし、学生で回しているんだよね?50万元(約750万円)で足りるよね?」とオファーしてきたが、ファン先生に聞けば「それは少なすぎる!」と却下し、彼が他のベンチャーキャピタルから110万USドルを調達した」。

それと引き換えに、ファン先生は中国に戻り、CEOとして務めなければならない。当時彼はバークレー校の先生であり、子供が生まれた間もない時期でもあった。色んな引継ぎや手続きがあったため、実際に中国に戻った15年だった。その間、デイジーと彼女のチームは相変わらず奮闘の日々を過ごしていた。

正式開始&ピボット

15年にCEOが中国へ戻った機に、本部が上海に移り、デイジーも北京から上海へと引越しした。テザインはマッチングの効率を上げるために、ウェブサイトを立ち上げようとした。そのためのエンジニア探しを始めたが、なかなかうまく行かなかった。彼女はプロジェクトマネジメントから、エンジニア雇用のHRへとフォーカスを移した。

ユニコーンである点融网のCTOに色々教えてもらったり、China Growthキャピタルがポートフォリオに対するセミナーに出席したり(僕とはそこで知り合った)したが、エンジニア採用は難しかった。というのも、エンジニアにとって、このベンチャーは有名ではないし、技術的なチャレンジもなければ、技術が優れているエンジニアもいないため、自分の技術向上にも繋がらない学べないという。四苦八苦して集めたエンジニアも、同じビルにあるRED(ソーシャルコマースのユニコーン)にチームごと引き抜かれたこともあった。

その後、セコイア・キャピタルなどの一流VCによる投資と共に、テザインの知名度が徐々に上がり、エンジニアの雇用もだんだん良くなっていった。ただ、ベンチャーとしては、10倍、100倍の成長が求められ、年間収入は5億円から15億円なければ株式上場出来ないという数字だが、デザイナーのシェアリングエコノミーでは到底到達出来る目標ではなかった。

このピボットをデイジーは社内で提案した。現状維持ではだめだという事を知るつつも、真面目に受け止める同僚はほぼいなかった。理由はビジネス経験がないのと、若い女の子ということで、彼女は物凄いフラストレーションを感じる日々だった。16年の年末に「大企業からの依頼来ないかな?」と願ってた2日後に、ユニリーバの知人からの依頼が入った。彼女は小さい頃から「真面目に願えれば叶う」という特殊能力を持っているらしい。

その後もどんどん大企業からの依頼が入り、社内反対の声も聞こえなくなった。17年末にはテザインは大企業へのピボットを完了されていた。

企業文化と営業の後

17年末の会社は70人前後だったが、部門間のコミュニケーションと雰囲気は昔と比べて、ネガティブな方向へむかっているとデイジーは感じた。その頃から彼女は企業文化に注目し、U型理論と呼ばれる企業学習と管理の方法を取り入れた。

19年からはテザインの営業を課せられた。彼女と彼女のチームは全く営業経験がない上、大企業を顧客とする困難極まりない任務だが、「願えば叶う」能力が発動し、ジョンソン&ジョンソンがHP経由で依頼が来たり、医療関係の客が欲しければ、バイエルの方と知り合うなど、営業の道は比較的に順調だったという。

トークを見てもらえれば分かると思うが、デイジーはスピリチュアルな人なので、自分の価値観に反する事は出来ないという性格。別に営業方法に問題があるわけではなく、会社の顧客の製品は人体に害があったり、環境を汚染したりして、彼女はこれらの製品を買わない、買おうともしないためだった。

会社の需要と心の声が矛盾する毎日を過ごす彼女の健康状態、だんだん悪化して行き、最終的には頸椎が固まったり、ナルコレプシーのような「常に眠い」状態となったという。家族や友人に相談した結果、7年前に立ち上げたテザインを離れることにした。

(先日、The Informationによる50 Most Promising Startupsの中に、Tezignも選ばれた)

世界経済フォーラムとグローバル・シェイパー

組織の詳しい紹介はネット上で簡単に探せるが、簡単に紹介すると:

世界経済フォーラム(World Economic Forum、WEF)は、経済、政治、学究、その他の社会におけるリーダーたちが連携することにより、世界、地域、産業の課題を形成し、世界情勢の改善に取り組むことを目的とした国際機関。1971年に経済学者クラウス・シュワブにより設立された。スイスのコロニーに本部を置き、同国の非営利財団の形態を有している。

グローバル・シェイパー・コミュニティー(Global Shapers Community)は、世界経済フォーラムにより組織される、多様なバックグラウンドを有する33歳以下の若者によるコミュニティ。 地球上の人口の過半数が27歳以下の若者であることから、社会の若者へのエンパワメントを推進するために組織されている。 世界各国の都市でHUB(ハブ) と呼ばれる地域拠点を立ち上げて集まり、ハブに所属するメンバーは「Shaper」と呼ばれる。

at the World Economic Forum – Annual Meeting of the New Champions in Tianjin People’s Republic of China 2016. Copyright by World Economic Forum / Sikarin Thanachaiary

グローバル・シェイパーに加入するのは簡単ではない。14年に北京ハブの加入を果たしたのは、デイジーが女性+インターネット業界+アントレプレナーという身分だからだ。それ以来、毎年行われるダボス会議と呼ばれる、全世界からシェイパーが集まるイベントに参加し、色んな方々、先輩後輩、国際リーダーなどに会うことが出来た。

例えば、難民であるシェイパーは、山頂にいかないと、信号がないので、ダボス会議参加のアプリケーションが送れなかった。アラブから来たシェイパーは、きっと経済的に上手くやっているんだとと思えば、実は彼女はシリアからアラブへ逃亡し、家族もまだシリアに残っている。そして彼女がどうやってシリアから逃げ出した物語などをもシェイパー達にシェアした。デイジーは自分がいかに「知らない」かといことを思い知らされたと共に、もっとシンパシーを持てるようになった。

ベンチャーで人間関係によるストレスや、企業改革の方法論なども、世界経済フォーラムやグローバル・シェイパーという組織に加入することで、人生とビジネスの先輩からアドバイスをもらっていたという。

現在と将来

元から健康と環境に気を使うデイジーが、テザインを離れてから、もっと深く研究するようになった。グウィネス・パルトロウやナオミ・キャンベルといったセレブから支持されているアンソニ・ウィリアム(Anthony William)の著書や日本のエコファームを紹介するドキュメンタリーなどを通じて、健康と自然を勉強している。

今の時代は、中国に限らず、自然の食材を手に入れるのが困難。彼女の知人が広東省にある中山市で      始めているエコファームなら、農薬無し、価格肥料無しの食材が手に入る。そこの農民は普通の農民ではない。いずれも学士や修士を取得していて、大自然と暮らし、大自然をもっと知る日々送る若者達。そんなライフスタイルに惹かれたデイジーは、頻繁に中山へ赴いては、数週間過ごすという。

現在はまだ模索中だが、将来はエコファームに関係するような仕事や事業に着手したいとデイジーは語った。

10年の成長と感謝

デイジーは多くの若者にとって、輝かしい経歴を持っている。世界経済フォーラム講演者、Forbes 30UNDER30、知名VCセコイア投資ベンチャーの共同創業者などなど。ただ、彼女にとって一番の財産はこれらの「タイトル」ではなく、喜怒哀楽が詰まったイベントプランニング、プロジェクトマネジメント、エンジニアのHR、企業文化の改革、セールス、VCからの融資、世界経済フォーラムの参加、各地シェイパーとの会談などなど、充実した過去10年の経験と知り合った人達である。

その中でも、テザインのCEOであるファン先生とは深い縁で結ばれている。彼はデイジーに要求が高く、厳しく指導や指摘をするも、学生時代からベンチャー時期まで、彼女の新しい試みに対してはいつもサポートしてくれたという。彼女にとって良き師であり、良き仲間であるファン先生に特に感謝をしているという。

三つのキーワード:勇敢、探索、反省

尊敬する人:母親(デイジーが語る母親の理念は凄く「進んでいて」、僕はとても感銘を受けました)

About Dan Zen Learning
断然ラーニングはシリアル・アントレプレナー、IT業界の営業とマーケティングを熟知し、12年日本、10年台湾、6年北京での仕事経験を持つトライリンガル、毎日何らかを学んでいるダンより提供。
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